銀行員を辞めたい辛いと悩んでる人へ!地方銀行営業マン【30代女】がストレス半端なくてつらくなって辞めた末路
銀行員ノルマキツいし辞めたいなー
最近仕事のストレスがやばい。でもがんばらなきゃー
世の中の銀行員のみなさま、お疲れ様です。
今日は銀行をフェードアウトし、また金融に舞い戻った私がその経緯や末路を話してみたいと思います。
今後の将来を考えるきっかけになるんじゃないかなーと思います。
銀行員を辞めたい辛いと悩んでる人へ!地方銀行営業マン【30代女】がストレス半端なくてつらくなって辞めた末路
目次
銀行員になろうと思った理由
私が銀行員になろうと思った一番の理由は、家族が喜ぶからです。
大学は美術系で、取った資格も教員免許や学芸員などなど。
金融とは全く畑違いの勉強をしてたのですが、第一志望だった美術系職種に尽く落ちて自信をなくしていたところ、滑り止め的に受けた地方銀行に総合職として合格。
元々バイトや投資とか、とにかくお金を稼ぐことがとても好きだったし、自分はコミュニケーションがド下手だから、営業マンを人生の中で一度経験しておきたい!と何故か内向的人間が積極性を発動。
山奥の施設で、同期たちと2週間の北朝鮮の軍隊みたいな研修を終えて無事銀行員になることができました。
銀行員を辞めたいと思ったときパート①
新入社員として入行した銀行は、地方で殿様商売をしている銀行でした。
先輩たちは優しく、モデルみたいに綺麗な人ばかり、仕事ができる人ばかりで、ひそかに「あんな風になりたい」って憧れていました。
信頼できる先輩たちとは裏腹に、営業課の次長は有名なパワハラ上司でした。
誰かひとりを3時間立たせたまま説教する集中攻撃をしたり、地方ならではの荒々しい言葉で怒号がとびかい、時には暴力をみたことも。
支店長も助長させるかのように、ゴミ箱を蹴ったり罵詈雑言を浴びせてましたね。
今思えば銀行あるあるなのですが、そんな雰囲気の悪さと、地方独特の殿様商売が自分には合わないな、と感じ営業成績は良かったけど退職することに決めました。
※この時代にやらかした諸々はこちらの記事に書いてます。
銀行員を辞めたいと思ったときパート②
次の転職先を決めないまま地方銀行を辞めた後、どうせなら東京でチャレンジしたい!と謎のやる気で都内の外資系銀行にリクルートエージェントで転職しました。
外資系銀行では給料も高く、だいぶ派手な生活をしてましたね。
都内全域だけじゃなくて、千葉や神奈川埼玉まで外回りに出てバリキャリウーマンのようにがむしゃらに働きました。土日出勤もありましたし、生意気にも上司と意見の相違で喧嘩したりもしました。
東京のお客さんは地方よりキツい人や変な人が多く落ち込むこともあったけど、とにかく東京にも同僚にも負けたくない一心で働いてました。今思えばメンタルもだいぶやられていたと思います。
そして、30歳になる1ヶ月前、ふと、私このままでいいのか?と我に帰りました。毎日の電話勧誘やアフターフォローに、傲慢なお客の対応。床で寝てしまうくらい疲れ果てて、結婚もしないで。
ストレスで肌荒れも凄くて、お金の使い方も酷いものでした。
このままの生活は嫌だ、もっと給料は低くていいからしっかり生きたい!!
地に足をつけた生活をしたくて退職を決意しました。
※面接とか乗り越えた方法はこちらに書いてます。
銀行を辞めた!ストレスがヤバくてつらい日々から逃げたらどうなった?嫌なことから逃げた今思うこと。
またまた次の仕事が決まってないのに辞めてしまいましたが、運良く地方銀行から金融系の事務専門職にまたまたリクルートエージェントで転職することができました。(よく何度もつきあってくれたな〜と思います(^_^;)
はじめての銀行以外の仕事。しかも事務職。ドキドキでしたが営業マン時代に培った色々のおかげですぐに慣れて、一年後には役付き検印者になったり。
確かに給料は手取り40万から30万くらいに下がったけど、大きい会社なので福利厚生も良く。
忙しい時もあるけど営業マン時代のギスギスがないのは本当に心が楽になりました。
しかし、やはり人間関係はどこの会社でも同じですね。
仕事ができない人、コミュニケーションがド下手なひと、変な人もいっぱいいます。
結果的には、本当に営業職のあのとき逃げて良かったなと思うのですが、どの職場にも人間関係のストレスって絶対について回るもの。人間関係が嫌ならフリーになるしかないなとしみじみ思ってます。
内向的人間が銀行の営業職をやって良かったこと
今は営業マンではないですが、営業職を経験しておいてよかった、と思うことは沢山あります。
例えば主にこの5つ
- 折衝力
- 交渉力
- 雑談力
- 業務遂行力
- 同期とのきずな
営業マンの時には、一人で複数のお客さんとやりとりすることも多く、どんなに内向的でもお客さんの趣味などの話題を振らなきゃいけない。
その中でもお客さんに振り回されずにこちらがハンドルを握って商品販売や融資っていうゴールに着実に近づける。。。
しかも結構時間にシビアだし、ミスも許されない。
これって相当大変ですよね。世の中の銀行員のひとたちってコレを一生続けていくわけですから凄いなと思います。
そしてそのすんごい大変だってことを唯一わかってくれる同期ってめちゃくちゃ大切。
銀行の営業マンの時だけはイエスマンになって、飲み会やら合コンやらスノボやら、なんでも同期と楽しんだことは心の救いになっていたと思います。(本当は家でのんびりしたい派)
あとは、内向的人間だからこそ何があっても冷静に分析して考えられたのはもしかして営業マンに合ってたのかな?なんて思います。
上にあげた5つのことはどんな職場でも活かせることなので、銀行員のみなさんは誇りに思っていいんじゃないかなーと思います。
教訓まとめ【何をやって生きるかよりどう生きるかand失敗や挫折を武器に】
仕事は得意なことがうまくいく
30歳を超えて、銀行を離れたのに金融系事務にとどまったのは自分のやりたいこととできることをクロスして考えた時にぴったりはまったのがその仕事だったから。
やっぱり美術の道に行きたい、そう思うことも沢山ありましたが、置かれた場所でまずは咲こうと思ったことが、前向きに頑張るために良かったことかなと思います。
スルーする力を身につける
実はグレーゾーンをどれだけ受け入れていくか、自分の中のグレーゾーンをどれだけ増やせるかということは会社員として働くのならば一番重要だったりします。
白黒人間は要注意。銀行員って緻密な事務ができないとやっていけませんが、むしろ成り上がっていった人たちに共通するのは政治とスルーするちから、これこそが成功者に共通していることです。
失敗や挫折を武器に
失敗や挫折が終わりではないということを先人も教えてくれてますよね。
新入行員の頃はめちゃくちゃミスをしたけど反省して成長した経験値はむしろ今後のプラスにしかなりません。
嫌なことから逃げてみる
心が鬱になるくらいなら試しに逃げてみると新しい世界が待ってます。
よく「死ぬこと以外かすり傷」と言いますが、戦うことで自分が成長できると思うことには頑張っていいと思ってるけど、戦うことで自分がすり減るだけのことは辞めると決めたらとても生きるのが楽になりました。
もし、今が辛いと思ったら成長できるかを基準に考えてもいいですよね!
周囲に相談する
将来に迷ってたら、本を読んだり、どう思うか周りに聞くもよし!(私のように信頼できる転職エージェントに頼って聞いてみるのもおすすめ)
意外と見えていなかったものに気づくし、考えが変わったり、確信を持って進むことができるようになります。
30過ぎたらより第六感で自然であることを選ぶ
人間ですから、ライフステージやいろんな経験で物事の見方が変わるのは当然だと思います。
私は次のステージでは完全に金融から離れて実家の家業を継ごうと考えています。
「自分にとって絶対に許容できないリスクはなんなのか」考えた時、大好きな家族の近くにいたいという気持ちが大きくなったから。
30過ぎたら、悩んだ時成長できるかということと合わせて「自分にとって自然か、不自然か」で選ぶことにしました。
大切なのは自分はどう生きたいのか?なにを成し遂げたいのか?
あなたの大切なものはなんですか?
以上、私が銀行員を辞めて事務職になった経緯と得た教訓を話してみました。
今は次のステージが楽しみでしかたありません。
そのために努力するのみ!
ぜひ参考にしてみてください♡
※参考までに私が転職や将来を考えた時によんだものです。
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